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change la vie , change le monde
誰でも一時期の自分を思い出して、そのころの真摯さだったり、どうしようもなさだったりを省み、現在の自分が前向きになったりと、どこかピュアファイされた気になることはあるだろう。
まして自分と同姓の家族、弟や妹をもつ者ならば、自分がもしかすると汚してしまったかも知れないものを、その年下の弟妹に純粋なまま持ち続けてほしいという欲を抱いてしまうのも理解できるはずだ。
演じる際はいかにイノセントな気持ちで挑めるかが重要だと思うと語り、事実、そのデビュー作『愛の記念に』で鮮烈な存在がスクリーンいっぱいに満ち満ちていたサンドリーヌ・ボネールも、妹へのそんなイノセントな思いから一本の映画を撮りあげたのだろう。

妹のかつての美しい姿や才能を懐かしく思い起こしたのです。――サンドリーヌ・ボネール

この映画は、自閉症の身内を抱えるという個人的な体験から、イベントの後援という活動を経て、現在の環境を何とかしたいと言うエネルギーが生まれ、自ら声を上げるため制作されたらしいが、なるほど、今後も続いていくだろうその活動は社会に意義のある影響を与えるはずだ。
フィルムそのものを観れば、どこかのオフィスで専門家に問題点を語らせる場面よりも(それも僅かワンシーンのみだったはずだが)、外でインタヴューをしているうちにサビーヌが姉の名を呼びつつ邪魔しに割って入る場面のほうがおもしろかったりする。実際、多くのシーンはサビーヌの施設での生活に当てられていたはずで、問題を問題として捉えようとするよりも、サビーヌの姿をそのまま追っているほうが、画面の背後に彼女の僚友のおどけた顔がよく映り込んでいたりと、観る側も心が洗われる部分が多く、より深いところでの理解が促されるだろう(撮る側が真面目にやろうとすればするほど、彼女たちには邪魔をする傾向があるらしい)。
さて、常に姉の名を呼んで止まないサビーヌだが、サンドリーヌが一度だけフィルムの中で答えたことがある。それは、叱るとも知れない苛立ったような声だったはずだが、瞬間、撮る側の生身の姿があらわになり、急に涙がこぼれそうになった。

この映画において何故サンドリーヌの声が必要だったか。そのシーンは故意に切られなかったに違いない。偉大なる先達である呉文光(これからも多くの人が同じ道を歩むことになるだろう)は、来日した際、撮りためられた無数のフィルムの中からもし新作を作るとしたら、それは極私的な日記のようなものになるだろうと語っていたが、もしかするとそのシーンを残したのは、演出の点で言えば、サビーヌの物語としてではなく、サンドリーヌの物語として、撮る行為そのものを浮かび上がらせる必要があったからなのかも知れない。サンドリーヌの日記のようなドキュメンタリーとしてである。
それを裏付けるかのように、この映画には、若いころサビーヌと行った海や森、ニューヨークまでの飛行機の中など、16mmで撮ったホームビデオが多く挿入されていて、現在のふたりとの対比をなしているのだが、これを撮影したのも主にサンドリーヌだったはずだ。また、それをフィルム内でサビーヌが観て、なんとも言えない嗚咽をする。過去の自分の姿を見て泣いているわけだが、そこには何か不思議な力が働いているのではないかと誰もが思わずにいられない。例えば、無意識の意識化というユング的な意味での自己実現。フィルムという物質的な存在がそこに一役買っているのではなかろうか。
映画を撮り終わったあと、サビーヌは一日に何度もその作品を観て歓喜しているらしいし、サンドリーヌも今はこの作品のおかげで、ふたりとも少し心が自由にオープンになった気がすると語っている。この点で言っても、やはりサンドリーヌがスクリーンの上に介在する必要はあったのだろう。無意識の意識化という作業が行われるならば、それは自意識で好き勝手に染められるものでもなく、心の純粋なオートマティスムによるものでなければならない。

例えば、『A』の荒木浩や『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三は、自身の映ったフィルムを観たのだろうか。観たとしたら、それによってピュアファイされたりと何かしら変化を与えられたのだろうか。
あるいは、『蟻の兵隊』の奥村和一。このおじいちゃんは、フィルムの中で誰の目にも明らかな程その存在を刻一刻と変化させていき、観る側もそのつど存在を更新させられたのだが、最後には新たに目覚めた立場でカメラを政治的に利用しようとするまでに至ったはずだ。果たしてこの老人も、それまでの自身の過程をスクリーンで目撃し、眩い1/24秒たちとともに、もう一度その存在を、生を変えてしまうようなことがあったのだろうか。彼らのその後を是非とも知りたいものである。
そして、映画のそのような力を確信していたに違いないペドロ・コスタが、大喜びで語っていたことも忘れられない。――「僕らはみんな、同じことを求めている。とても単純なことなんだけど、みんな幸福になりたいのさ。ヴァンダは『ヴァンダの部屋』に出たことを、とても誇りに思っている。彼女は麻薬をやめて、子供も作ったんだ。」
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こんなにもカメラの存在があたたかいなんて!

あまり知らない子供たちに(ときには大人にも)出演料を要求されることもあるし、靴を投げつけられることもある。しかし、カメラが決定的に暴力とならないのは、子供たちの側にもそれ相応に暴力のなかで生きているという自負があるからなのだろうか。

彼らはひたすらカメラに向かって話しかけてくる。仲間どうしで声を掛け合うときも、近くにシンナーを吸ってる奴がいるときにも。一人で親に反抗したり、学校に遅刻して行ったりするときも。立派な車で弟たちの前に凱旋するときや、人の話を聞かずにとうもろこしを投げ捨てるときだって。飯を食ったり、喧嘩したり、歌って踊るときにも、常にカメラを意識している。
時には、色目をつかって誘ってくる彼女たちさえいる。自然に振舞っているのは、犬やアヒルや牛くらいだろう。(いや、犬だって見事な合いの手を入れてくれた!)

しかし、カメラは恐ろしいものだ。冒頭や、その後何度か引用される水浴びのシーンから、ひっくり返った荷車の上で実況する子供たちのシーンまで。他にも細かいところや音声的な部分まで。明らかに意識的なレヴェルから日常的で無意識なレヴェルまで、そこには演出された部分が入ってくるし、逆に非人間的なあらゆるものが映り込んでしまう。そう、決して開けてはいけない扉だって!
そして隠された部分。『阿賀に生きる』の三年間にさんざん喧嘩した友との別れ。それぞれの道を歩みながらも、『阿賀の記憶』で再び集い、病に倒れつつもさんざん話し合ったこと。ケニアに送られてきた友からの数々の手紙、その死。そして、子供たちに気遣われながらの撮影。

この映画はその隅々まであたたかさに満ちている。

私たちは、そのあたたかさを全身で受け止めることができるだろうか。愛と反抗と、そして恐怖に堪え得る勇気を!いったい、別れ際に放たれた少年の言葉にどうやって答えるべきだろうか。
「お別れの祝福を!日本に帰るのなら、誰でもいいから一人連れてってくれよ!」

つくづく、映画とは過程でしかないのではあるまいか。
アレクサンドラが砂塵の舞う大地に降り立ったときから、戦車に送られ軍の駐屯地で過ごした幾日かや、街での同世代の女性や年の離れた少年などムスリム達とのやり取りまで、すべての過程は帰路に就く列車の中、開いたままのドアの向こうに流れる風景の端に、貨物車のような軍用列車の内装に背をもたれたまま、画面こちら側に向かってついた老婆の溜息とともに消え去ってしまう。

年老いた一人の女性にとっての遠出とはどういうものだろう。それを想像するとき、旅の記憶と映画的な体験とは、どこか似ているのではないかと思い当たる。

確かに一本のフィルムについて語るとき、背景についてのみ議論することもできるし、フィルムがその効果的なきっかけとなることもあるだろう。しかし、90分そこらの体験の記憶をたどり、自分が直接に何を観たのかを必死に思い出そうとすることも、現在の自分を軸に起こりつつある何かを探り当てようとする上では大事ではないだろうか。
アレクサンドラが降り立った大地は、決して戦争の起こるチェチェンのとある場所ではなく、老婆にとって“どこか他の場所”であり、観客にとっても“どこか他の場所”であるはずだ。ただし、観客にとってそれは、映画館のスクリーンの上で起こったこと、すなわち“ここ”で起こったことでもある。

軍靴のザックザックという足の連なりとともに映った地面はなんとも魅力的であった。
ロメールの『獅子座』のラスト、地面のアップから夜空にパンして、そのまま銀河の写真のモンタージュに重なるシーンを連想してしまったのだが、すべてがどこかで通じ合っていると感じる人ならば、普段歩いているアスファルトでも、そのあたりの地面でも目が止まればいつでも、老婆の歩いたあの大地のことを思い出してしまうだろう。
2008年に撮られた映画を遅ればせながら同時代において観るとき、それに対する正しい反応とは一体どういうものだろうか。とにかくそうした体験をしてしまった者として、言葉を綴ってみたりもする。

この物語における、江口洋介の取り残され方は本気でツボだった。妻夫木との刑務所での最初のやりとりが尻切れトンボに終わってしまう部分や、窓越しに皇居をバックとした東京のオフィスの会議で皆が先に出てしまったあとなど、江口洋介を映し出す画面に充満する空気には、何か言葉にできないものが漂っている。ラストに秘密が明かされ、本当に一人取り残されてしまう設定が蛇足に思えてしまうくらいだが、画面から消えてしまう瞬間、天井のプロペラに垂れたヒモだけで済ませるのは、なるほどたまらない。
その取り残され方は、宮崎あおいのそれと対応している。『メリケンサック』のポスターのあからさまなしかめっ面には嫌悪感を覚えていたし、顔も体も硬くて確かに映画的な運動神経は相当まずいのだが、なかなかどうしてこの人のたたずまいは魅力的だった。スラムの線路に他の者とは少し離れて立つときや、ボランティアの事務所にやはり少し遅れて登ってくるとき、人のなかで孤立して画面に収まってしまうある種の希薄さには、ちょっとドキドキさせるところがある。そういったものは、あるいは本人の意識しないところで出てしまうものなのだろうか。女優としての生き様であり、監督の演出の妙である。世間知らずな若者として、ステレオタイプな役にきちんとハマっていたぶん、月夜にタイ語を勉強するシーンは単純に好きだったし、物語のクライマックス子供たちといっしょに逃げる姿には、江口洋介を破滅させるだけの存在の重みがあったのだろう。

それと、人も言うようにサスペンス映画としてのおもしろさも全編に溢れている。宮崎あおいと同様に妻夫木も思いのほか良く、バーで江口洋介と並んでいる最初のショットは、男前二人の緊密な関係を思わせて最高だ。タイ人が手術の日程を掴むため携帯をかけているシーンなど、話の流れとは別の妻夫木の動作と表情も良かった。戦線から逃げ出すかと思いきや戻ってくる期待どおりの展開など、アランヤ-が本当にゴミ袋の中から発見されてしまうのと加えて、映画的な真実なのかも知れない。
それとそれと、移植手術を受ける子供の親が佐藤浩市なのは素晴らしい。あえて言うならば、若干開き直ってしまうのではなく、もっと偽善者に徹してくれていたら(十分にそうだったかも知れないけれど)より魅力も増していただろう。佐藤浩市に拍手を!やはり悪役は色っぽくないと嘘だ。

この映画は事実をもとにして投げられていて、生じた波紋に受け手は一概に答えを出すことはできない。しかし祝日の新文芸座は、若者から普段の年配層まで満員で、そういった人たちといっしょに観れたことがすごく嬉しかったりする。暗くした部屋でビデオやDVDを観るのも十分に貴重な体験だし、大いに活用しているのだが、映画館の闇に投射されるスクリーンの光にくらべれば、昼の陽の明かりのほうが暗闇だ。盲目になりたくなかったら、映画との関係をもう一度捉えなおそう。
ヘルツォークのことは全く知らなかったので、『東京画』に出てくるヴェンダースの2人の友人のうちどっちだろうと思っていると、『アギーレ』の最初の画で、即座に東京タワーにいた人物だということが呑みこめた。
そのとき、彼は「本当のイメージ」について語っていたと思うのだが、リアリズムでなくてリアリティについて考えるとき、人は何を見るのだろうか。

正直、どうしても“構図の切り取り方”みたいなものに惹かれてしまう者としては、ただ“撮っただけ”のような画には反応しかねるのだけれど、現代のぺルーのジャングルにある激流を背景に、時代的な鎧を着て、褐色のはずのラテン人を演じている色白のドイツ人が2,3人並んでいる光景、『アギーレ』のこれらのショットは素晴らしかった。
『フィッツカラルド』においても、山を上ろうとしている船を後ろに、霞のなかクラウス・キンスキーがたたずむ構図など、放心しそうになる場面は数多い。実際の撮影では、あらゆる問題が山積みだったらしいが、部族間の衝突が絶えなかったというインディオたち、そのアクシデントとしての不穏な空気さえも、物語には奇跡的に組み込まれている。
それにしても、すべてが徒労に終わるこのフィルムの結末はなんともベッケル的なのだろうか!実際にこんな体験をするのは嫌だが、それが映画だとすべて納得させられてしまう。暗い映画館に押し込められて何かを夢見るとき、観る者は確実に手に入れるものがあるのだと実感した。

重ねてそれにしても、褐色で金髪に青い瞳の(シャルル・クロスみたいだ!)件の怪優の、動物の愛で方およびその投げ飛ばし方は天才的だ。
日仏で『ヒロシマモナムール』を観に行くために休みをとった後で、その前にはまだ残っていたはずのチケットが手に入らないという悲劇に合い、「やっぱり自分には不釣合いだったのか。」なんて落ちこんだりしたものの、それでも『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』と『コッポラの胡蝶の夢』という似たような邦題の2本立てを用意してくれていた東京の街の懐の深さに抱かれる。

『レッドバルーン』はもう一度観たいと思っていたので、この機会に再び観れて本当によかった。ホウ・シャオシェンにとってパリの街とはどういうものだったのだろうか。

まず、車の往来や人ごみといった喧騒が静かに画面に充満しているのが素晴らしい。その中を平気で歩きまわる登場人物たち。冒頭の男の子(めちゃくちゃカコイイ!そして動きが可愛すぎ)がひたすら話しかけるシーンに始まるどこまでも勝手気ままな風船との共演や、ほぼ固定での長まわしかと思いきやあくまで流動的なシーンの数々など、中心がころこと転がっていくそのフレームにはスクリーンの形を感じさせない力がある。完全な世界とは一般に多くの場合球形をしているもので、ニーチェのツァラトゥストラ曰く、「存在の車は永遠に廻る。彼処なる球は此処を廻って廻転する。いたるところに中心がある」のだ。
主人公の一人が北京から映画を習いに来た留学生で、劇中でもモラリスの『赤い風船』を素材に男の子とデジカメを回しだすのだが、パリの街中を漂う大きな球形の赤い風船は、物語のどの位置で(劇中か劇中劇の中なのか)男の子に寄り添うのだろうか。ちなみに、その女学生が風船の撮影方法の種明かしをしていたり、モチーフの一つである人形劇で操り手が姿を曝していたりと、物語自身はその中で何の境目も持たずに進んでいく。
カーテンの透け具合の素晴らしさも健在だったが、ガラス越しに風景が重なり続けるショットの多用も物語に説得力を与えている。はてさて、ガラスや鏡に映りこむ世界やスクリーンの上の世界とは、夢か現か。いずれにせよ、たった一つしかないこの世界の中で、普段私たちが何気に生活している場所から直接に地続きとなって存在しているのは確かである。いつでも街へ繰り出す準備をしておこう。

冒頭に現れる一本の木立は、そこがアジアでもヨーロッパでもないどこか近くて遠い国であるのかと錯覚させる。

風景が圧倒的にすばらしい。木々を揺らす風、そこに見慣れたような景色、さらに廬山の字幕が出てきたとき、それが中国だということをやっと飲み込める。兵隊達がときおり笑顔らしいものを見せ、仕事をこなし隊列を組んで遠征する姿に、悲壮さよりも清々しさを感じてしまうのは、のどかな音楽によるものではないはずだ。
固定ショットによる空間の切り取り方にもはっとする。そこで演じられる兵隊達の活動は、カメラに投げかけられる目線からだけでなく、全体的な動きからも観るものを感動させる。加えてその画面の後ろで覗きこむ現地人の不思議そうな顔。
戦車の列、車の疾走、電線を引く兵士達、痩せて倒れ込む軍馬、月夜の見張り番、破壊された武漢の路地裏と猫に鳥たち。三木茂の撮影は、テレビのなかった時代の画面の美しさを目の当たりにさせてくれる。歩兵隊が馬を引き連れ大陸の荒野を行くシーンは、ジョン・フォードの『幌馬車』さながら映画でしかなかった。

もし亀井文夫から反抗的なものを読み取ろうとするのなら、そのことすら警戒し、より反抗的な姿勢をとるべきだろう。“理性による主体的な判断”などより、フィルムそれ自身に反応してしまう感性のほうが、遥かに現実に即しているのだから。

滅多に観れないこのドキュメンタリー作家の特集は、今月一杯フィルムセンターで。
始まる直前何も考えずにボケーっとしていると、最初のショットで「これはヤバい。」と不意打ちを喰らってしまった。女の子(サンドリーヌ・ボネール)が劇の台詞を朗読しだすのだが、そこに漂う画面いっぱいの張り裂けそうな緊張感は、もしかするとスクリーンでしかわからないのかも知れない。

その女の子には、男でも惚れてしまいそうな美少年の彼氏がいるのだが、肝心の相手とはプラトニックな関係を通しつつも行きずりの英国水兵に体を許してしまう。彼は親友のボーイッシュな娘と付き合いだし、彼女も仲間内の他の男子と恋仲になる。夜遅くまで遊び呆けた後には、家庭内での母親との激しい喧嘩が待っていて、ピアラ自身が演じる父親との距離も終始微妙だ。
原題を直訳すると“私たちの愛に”だが、そこには兄も入れた家族の問題も含まれているだろう。彼女の家族を中心としてもいろいろな付き合いがあり、物語の最後イギリスに留学するまでの過程を通し、スクリーンの中ではそこに存在する空気が何度も火花を散らす。

日仏では満席だったものの『彼女の名はサビーヌ』は来春劇場公開されるみたいだし、今回の特集ではドワイヨンの『ピューリタンの女』も観とかなければいけない。

『関の彌太ッぺ』に併せてトークショーがあるというので、隣の阿佐ヶ谷まで歩いていった。初回は満席で、早めにチケットを取るという自分の学習能力のなさに唖然としたものの、トークショーだけ入れたのでコーヒーを飲んで待っていると、近くで山根貞夫が若い衆を相手にしゃべっていた。鈴木則文はまだ来ないのかと思っていたが、どうやら中で他の観客といっしょに泣いていたらしい。

素晴らしかった。観たのはその次の回だったのだけど、他に体験した人を探して「めちゃくちゃおもしろかった!」と言えば、その一瞬だけでも通じ合ってられる映画だ。彌太ッぺと森介が再開する雨の竹薮でのチャンバラは、とにかく凄まじい。その後に街道辻で落ちあうシーンも好きだ。
トークでは、東映で「無能な監督を追放せよ!」と若手が署名を集めたという、将軍を持ち上げようとした頃のエピソードや、ロケハンで木槿を最初に見つけたのは誰か、さらには山根貞夫が庭で木槿を育てたという話が聞けた。『彌太ッぺ』で時代劇衰退の流れを止めようとしたらしいが、成功していたら「トラック野郎なんて撮っていなかった」という鈴木則文の顔は寂しそうだった。

祖父が『トラック野郎』好きで、ちょうど死んだ時刻あたりに大学の先輩たちと佐渡編をビデオで観ていたことを通夜で叔父さんに伝えたという筆者の体験も、もし時代が変わっていたのなら存在しなかっただろう。ましてラピュタの任侠特集で山下耕作というのもなかった。
時代劇で"殉ずる愛”を貫きたかったという将軍や鈴木則文も、結局は映画に殉じている。

阿佐ヶ谷での任侠特集のことは、『山下耕作の世界』にそのきっかけが詳しいが、『緋牡丹』や『昭和残狭伝』に、『極道』シリーズや『まむしの兄弟』、『総長賭博』などなど、まとめてスクリーンで見れるのは楽しみだ。 *藤純子も後にトークショーをやったらしい。
ただ観ていただけなのに、それだけで後に尾を引く画を撮ってしまうのはなんなのだろうか。
他にも映画を観れば観るほど、その記憶は薄れず強烈さを増す一方で、さすがは加藤泰である。

冒頭のチャンバラから役者の動きが違うのだが、頭に残っているのは半次郎と忠太郎のそれぞれの母(年はだいぶ違うけれど)の横顔である。忠太郎の母の小暮実千代の場合、そこにいたるまでワンショット・ワンシークエンスの長いやりとりを含めての感動があるのだが、半次郎の母の夏川静江の何気ない横顔、シネスコサイズの画面の端に切れそうに据えられた顔にそれだけで反応してしまうのは、おばあちゃんっ子だからだという理由だけではないはずだ。

路上の歌で稼ぐ老婆をたちの悪い客から助ける、ひたすら長まわしのシーン。そこで手前の小屋越しにカメラが微妙に移動するのに震えたり、小暮実千代の切り盛りする料亭の前の路地裏、右手の塀のところに小便除けのちっちゃな鳥居の絵があり、奥の方に少しだけ見える通りを横切る籠や車、竹馬に乗った子どもなど、物語の展開する後ろで繰り広げられる画面の躍動が忘れがたかったりするのである。

最後の別れのシーンは、"リメイク”という形のなか加藤泰が選んだ"崩し”の部分でもあるのだろうが、やはり単純に良く、『大人はわかってくれない』や『ピストルと少年』を連想してしまった。母親とは結局交わることのできなかった錦之助の姿に共感してしまう。

トークショーでは、加藤泰がイタリアに"洋行”したときの裏話が聞けて笑ってしまった。大阪人としての加藤泰という蓮実重彦の考察もおもしろくて、とても充実した一日だった。
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プロフィール

オオツカ

Author:オオツカ
フーリエ主義の私立探偵。
東京を舞台に日夜事件を追跡中。

ある種のユートピアと化して、常にどこかで何かしら映画がかかっているという都市の状況に抗して。


日々の魔術の実践、あるいは独身者の身振りとしてのblog。



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